荻須高徳

| 基本情報

荻須 高徳 (おぎす たかのり)

荻須 高徳
年代 : 1901/11/30 ~ 1986/10/14
享年 : 84歳
出生地域 : 愛知県 中島郡
死没地域 : フランス パリ モンマルトル
種別 : 洋画家

| 略歴情報

1901年 (明治34年 )11月30日、愛知県中島郡井長谷村大字井堀149番に生まれる。

1908年 (明治41年 )7歳千代田尋常高等小学校に入学。

1916年 (大正05年 )15歳愛知県立第三中学校(現在の津島高等学校)に入学。

1921年 (大正10年 )20歳卒業後、上京し川端画学校に学び、藤島武二の指導を受ける。

1922年 (大正11年 )21歳東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学。

1927年 (昭和02年 )26歳東京美術学校卒業。9月フランス留学の途につく。

1928年 (昭和03年 )27歳このころから署名をOGUISSとする。サロン・ドートンヌに初入選。

1939年 (昭和14年 )38歳第2次世界大戦勃発。翌年 13年 ぶりに帰国。

1944年 (昭和19年 )43歳横江美代子と結婚。

1945年 (昭和20年 )44歳終戦。

1946年 (昭和21年 )45歳長女恵美子生れる。

1948年 (昭和23年 )47歳戦後初めて日本人画家として、フランス滞在を許され8年 ぶりにパリに入る。

1956年 (昭和31年 )55歳フランス政府から、レジオン・ドヌール勲章を授与される。

1972年 (昭和47年 )71歳勲三等旭日章に叙される。中日文化賞受賞。

1974年 (昭和49年 )73歳パリ市より、メダイユ・ド・ヴェルメイユを授与される。

1981年 (昭和56年 )80歳文化功労者に顕賞され10年 ぶりに帰国。稲沢市を訪問。

1982年 (昭和57年 )81歳フランス国立造幣局が、の肖像を浮彫にしたメダイユを発行する。

1986年 (昭和61年 )84歳10月14日、パリのアトリエで制作中に死去する。文化勲章を受章する。

| 作品一覧

ア・ラ・グリーユ
荻須高徳 ア・ラ・グリーユ

オー・ボン・ヴィヴァン
荻須高徳 オー・ボン・ヴィヴァン

カフェ・タバ
荻須高徳 カフェ・タバ

グランカナル
荻須高徳 グランカナル

グランド・トリュアンドリー通り
荻須高徳 グランド・トリュアンドリー通り

サン=ドニ、街灯のある小路
荻須高徳 サン=ドニ、街灯のある小路

プュイ・ド・ドーム
荻須高徳 プュイ・ド・ドーム

ボーブール
荻須高徳 ボーブール

ミシュラン(黄色い壁の家)
荻須高徳 ミシュラン(黄色い壁の家)

ムフタール通り
荻須高徳 ムフタール通り

ラップ通り
荻須高徳 ラップ通り

ルクセンブルグ公園
荻須高徳 ルクセンブルグ公園

レストラン”オー・ボン・ヴィヴァン”
荻須高徳 レストラン”オー・ボン・ヴィヴァン”

街のタバコ屋
荻須高徳 街のタバコ屋

街角の家
荻須高徳 街角の家

金の時計盤
荻須高徳 金の時計盤

金物商
荻須高徳 金物商

食料品店
荻須高徳 食料品店

青い日よけ
荻須高徳 青い日よけ

赤い家
荻須高徳 赤い家

| 人間関係

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関係
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| 落款情報

表サイン
荻須高徳 サイン

表サイン
荻須高徳 サイン