| 基本情報
小山 正太郎 (こやま しょうたろう)
年代 : 1857年 ~ 1916年
享年 : 59歳
生まれ : 越後国 長岡藩
種別 : 武士/洋画家/教育者
| 略歴情報
新潟県長岡市に、長岡藩の藩医の長男として生まれる。
1871年 上京し、川上冬崖の画塾聴香読画館に入る。
1874年 陸軍兵学寮士官学校の図画教師となる。
1876年 日本で初めての官立美術学校となった工部美術学校が設立されると、
務めをやめ入学、翌年助手となった。
イタリアから同校の教師として招聘されていた画家
フォンタネージに師事したが、その後任者フェレッティに不満を抱き
浅井忠ら同志とともに退学、十一会を結成する。
その後東京師範学校の絵画教師を務めながら、
フェノロサ、岡倉天心らの洋画排斥の気運に抗して、
1889年 わが国初の洋画団体である明治美術会の創立に参加。
1887年 自らの主宰する画塾・不同舎を開設して後進の指導にあたった。
その後は、東京高等師範学校で教鞭をとり、
また第1回の文展より洋画部の審査員を務めた。
代表作には《川上冬崖像》などがあるが、
洋画教育の面で果たした役割は特に大きく、洋画隆盛の基礎を築いた。
東京都で没。
| 作品一覧
牡丹図


仙台の桜


濁醪療渇黄葉村店


風景


| 落款情報
表サイン


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