| 基本情報
原田 直次郎 (はらだ なおじろう)
年代 : 1863年 ~ 1899年
享年 : 36歳
生まれ : 江戸
種別 : 洋画家
| 略歴情報
1863年8月 原田一道と妻あいの次男として、江戸小石川の母の実家で誕生。
1868年6月 岡山に転居。
1869年3月 上京し、浅草の池田侯の邸に住む。
1870年3月 大阪に転居し、大阪開成学校に入学してフランス語を学ぶ。
1873年9月 東京の駿河台に転居し、10月に神田の東京外国語学校(旧外語)
フランス語科に入学。
1874年頃 山﨑成章に洋画を学ぶ。
1881年 外国語学校を卒業、同年8月に大久保さだと結婚。
1882年 天絵学舎で高橋由一に師事し、洋画を学ぶ。
1884年2月 絵を学ぶため、妻子を残してドイツに渡った。ミュンヘンに住み、
兄豊吉の友人画家ガブリエル・マックスに師事し、
またミュンヘン・アカデミーに登録。
ドイツ人画学生ユリウス・エクステルと親交を結ぶ。
1886年3月 森鴎外が下宿を訪問。
1886年8月 マリイと同棲し、また写生旅行に出かけた。
1886年10月頃 欧州美術事情視察の文部省専門学務局長、浜尾新を案内。
ミュンヘンを発ち、スイスとイタリアをへてフランスに向かった。
1887年5月 フランスのマルセイユを発ち、7月に東京着。
洋画科を置かないまま東京美術学校が設立。
11月に龍池会でフェノロサを批判する講演をした。
1888年 「東洋画会」特別会員になり、その機関誌に洋画を紹介。
本郷にアトリエを新築。
1889年 本郷アトリエで画塾「鐘美舘」を開いた。
1890年 第三回内国勧業博覧会で審査官となり、
「騎龍観音」と「毛利敬親像」を出品、後者で三等妙技賞。
雑誌『国民之友』の表紙、挿絵を担当(以後、継続)。
1891年 森鴎外「文づかひ」の収録本の表紙絵と挿絵を描いた。
1895年 第四回内国勧業博覧会に「素尊斬蛇」を出品。
病床での制作と伝えられている。
1897年 第八回明治美術会展に「海浜風景」を出品。
1898年9月 神奈川県子安村に転居し、静養。
1899年12月 東大病院で没。
1909年11月 東京美術学校で原田直次郎没後十周年記念遺作展覧会を1日のみ開催。
1910年1月 「原田先生記念帖」刊行。
2002年 「靴屋の親爺」(東京芸術大学大学美術館蔵)が重要文化財に指定。
2007年 「騎龍観音」(護国寺蔵、東京国立近代美術館寄託)が重要文化財に指定。
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